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猪名川町の小学校

町域の「学校」の歴史は古く、誕生は131年前にさかのぼります。 明治6年、阿古谷・北田(北田原)・上原(原)・広根・木津・大島・柏原の7つの小学校と、杤原・木間生・林田・笹尾連合の杤原小学校が生まれました。いずれも前年8月に公布された学制により実施されたもので、多くは寺子屋を学校に改め、維持費や新築費は地元負担で開校し、授業料も決して安くはありませんでした。
その後、北田小から分離し明九小(槻並・万善)が開校、最後まで寺子屋のあった紫合にも小学校ができましたが、国の方針につれて、各校とも校名変更、合併、廃校などの変遷を余儀なくされました。
現在は様々な歴史を経て、大島、楊津、阿古谷、猪名川の各校と、昭和53年開校の松尾台、平成5年の白金、平成10年のつつじが丘各校の7小学校が、子ども達の明日を育てる学びの場となっています。

 

中学校の建設

(写真:猪名川小学校の跡地の記念碑)

昭和30年の合併まで猪名川町は六瀬村と中谷村に分かれており、同22年、新制の村立中学校が開校し、六瀬中は楊津・大島両小学校それぞれに併設、中谷中は中谷小学校に併設されました。 勉学しやすい独立校舎を求め、中谷村では中谷小の隣接地(上野字北畑)に用地を定め、工事の中断などの苦難を乗り越えながら、村の直営工事として同24年10月に落成、運動場は村民のべ1400人の勤労奉仕で同25年12月に完成しました。
六瀬村では位置選定に討議を重ねて笹尾字大作に同24年5月落成しました。校舎敷地や運動場の造成は、村民の奉仕により、また教員や生徒も川から砂利や砂を運んだそうです。
同50年代からの人口急増などで中谷中は同56年に現在地に移転、平成2年には町内3つ目の猪名川中学校が誕生しました。昨年取り壊された上野体育館は、旧中谷中の名残であり、役場駐車場には中谷小(同30年に猪名川小に校名変更)の記念碑が建っています。

 

猪名川高校の開校

(写真:猪名川高校)

紫合の高台に建つ県立猪名川高等学校は、昭和50年4月の開校以来30年になります。この開校には、長年の住民の熱意と尽力がありました。 昭和23年、新制高校が誕生し、翌年4月に学区制が施行され、旧制中学校・女学校を持たなかった本町域は県立伊丹高校の区域に入りました。しかし、町域中心部から22キロメートルの距離がある伊丹高校や20キロメートルの有馬高校などへの通学は大変で、下宿する生徒も多く時間的・体力的・経済的負担は大きかったのです。
同23年、定時制の県立川西高校設立により、中谷分校と六瀬分校が中谷小と六瀬中に併設され、同37年には両分校が合併(猪名川分校)、現ゆうあいセンターの敷地に独立校舎で開校し、全日制への第一歩を踏み出しました。
同39年には全日制の伊丹高校猪名川分校となり、同50年待望の独立した全日制の県立猪名川高等学校が誕生、9月には紫合へと移転し、永い分校時代は終わりを告げたのです。(写真:猪名川高校)