中谷村 村名起源
本村を中谷村と稱(しょう)するは何等複雑なる理由も遠因もあるに非ずして、もっとも單純にして明瞭なる命名法というべき順序に起り、東方の一地區を東谷村とし又西方の一區域を西谷村と定むると同時に本村を中谷と呼ぶに決せしこと敢て蕪言(ぶげん)を弄するまでも無からん。
中谷村長・福原丈太郎は、提案理由をつぎのように説明している。
「はじめ東谷村を含んだ合併を希望したが、東谷村は川西市へ、のち西谷村、長尾村も宝塚市へ合併された。そこで地形、風俗の共通した六瀬村との合併を、本村将来の発展と福祉増進を願い、提案するに至った。」
六瀬村議会における六瀬村長・大西義隆の提案説明も同様の趣旨であった。
猪名川町誕生のきっかけとなったのは、二十八年九月一日に公布された町村合併促進法による。この法の施行によって、全国の町村合併が強力に推進された。
明治二十二年(一八八九)の市町村制施行時以来の大改革であった。
県下では、この法律が有効であった昭和三十一年九月三十日までの三年間に、
二十八年九月末当時の一四市三〇八町が一九市一〇一町と三分の一に減少した。